先日テレビのチャンネル(ケーブルのね)を変えていたら、
おすぎのシネバラがやっていまして。
そこでおすぎさんが、4月から公開されているキーラ・ナイトレイ主演の「
つぐない」という映画の紹介をしていたんです。
おすぎさん曰く「良い映画」とのこと。
そのコメントの中で気になることを言ってたんですよね。
「ラブストーリーであることには変わりないんだけど、最後の最後に今まで見ていた愛の形が全く違うものであったことがわかるのよ」と。
う〜〜〜ん、それはどういうことだろう?
叙述トリックみたいなもんかしら〜?と気になったので、映画より先に原作の小説を読んでみました。
いや〜〜〜、ねぇ・・・。
おすぎさんの言う通り、最後の最後に自分の感じていた世界が別物だと気づく・・・ってのは、その通りなんですが。
面白かったですよ。さすがブッカー賞にノミネートされただけのことはあると。
ただ、ねぇ・・・なんなんだろうな、この消化不良な感じは。
感想を書くと全てネタばれになってしまうので、言えないんだけど。(笑)
それでも、これが償いと言えるのか?!っていうのが正直なところ。
ストーリーは、ブライオニーとセシーリアの姉妹と、彼女達の家の使用人の息子であるロビーがメインとなるんですが、中心はブライオニー。
彼女が13才の頃の「きっかけ」の話、その5年後の話、そして半世紀後ブライオニーが小説家として成功した後の話、と、三部作になってるんですが(これは映画も同じらしい)、13歳の時に犯してしまった「罪」のためにブライオニーがいかに贖罪(というのが原作の題名)していくか・・・っていう話なんだけど、その贖罪の仕方がね。
もうね。
なんていうかね。
ズレてんだろう!!それはよ!!(;´Д`)ノ
と思ってしまったんだよねぇ、アタシは。
結局、最初から最後まで妄想に次ぐ妄想、想像に次ぐ想像でしかなく、全てが虚構。
事実も真実も私達には一切知らされない・・・と。
そしてそれこそが「贖罪だ」と言われてもねぇ。
確かに、彼女が幼かった故に犯してしまった罪を、キチンと理解して後悔して贖罪しようとした時には、すでにそれが不可能な状態であったというのはわかるんだけどさぁ・・・。
逃げずに戦って欲しかったなぁ。
「疲れた」なんていわないで。
全員が死んだ後に発表される事実が、事実かどうかわからない作り物ってのもな。
なんだかな。なんだよね。
と、わけのわからん感想ですが。(笑)
映画はとても映像が綺麗で良い出来で、原作者も主演のキーラ・ナイトレイを気に入ったそうです。
機会があったら、映画も見て、原作と比較してみたいな〜。
結末にまた悶々とするかもだけど。(笑)
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